2015年10月27日火曜日

死にかけた話

 埼玉県志木市に秋ヶ瀬取水堰という場所がある。埼玉県や東京都に住む人々の飲料水や生活用水の取水を目的として、1963年に竣工されたコンクリート堰だ。荒川を横切る4つの水門が適宜開閉し、川の水量を調節している。2003年、中3の冬、私はここで死にかけた。

 遡ること上流へ数十キロ、当時私は埼玉県上尾市に住んでいた。釣りの好きな少年だった。私には何人か釣り仲間がいたが、中学の同級生Aとは特に仲が良く、行動をともにすることが多かった。中3の夏、私たちは沼に沈没している廃船を見つけた。

 私たちはある計画を考えた。まず水底の廃船をロープで引き上げる。引き上げた船を沼から荒川水系の用水路に伝わせ、本流へ出る。そして川を降下し、50キロ先の東京湾に行こう、と。別に東京湾に行ったからといって何があるわけではないのだが、私たちはヤンチャで、時間があった。半年かけて計画を練った。

 計画は半分成功した。決行の日、夜半より動き出した私たちは、早朝本流に出、オール代わりの竹棒を体力に任せて操り、昼には志木市へ突入した。だが、秋ヶ瀬取水堰ですべてが終わった。その日、水門は4つの内3つが閉まり、1つのゲートにすべての水が集中していた。おまけに、前日の雨で水嵩が増し、ゲートは滝の如くなっていた。早起きの疲れでボンヤリしていた私たちは、ここに船ごと呑みこまれたのだ。

 死ぬ。そう思った。濁流にまきこまれ浮上は困難。頭が上になったり下になったりグルグル回る。水を飲む。呼吸ができない。意識が遠のく。死を覚悟した。

 私は靴と、財布やカメラなど荷物一式を流された。Aは荷物は無論、ズボンやパンツを流され、スッテンテンになった。でも、命は取られなかった。無我夢中で川岸まで這い上がった。

 ズブ濡れの私たちを、車で昼寝をしていたサラリーマンが助けてくれた。この人は善人で、決して名を名乗らず、バカな若者に寸志まで包んでくれた。帰宅して両親に報告すると怒られた。父は冒険心は認めてくれた。学校でも話した。この話は少し武勇伝になった。あとで聞くと、この堰では過去何人もの水死者が出ていた。

 15歳の時の話だ。卒業式はその1ヵ月後。私は埼玉県の平凡な県立高校に、Aは美容師学校に進学した。それから10年余り、今ではもうAと会うことはない。結婚して子どもをもうけたと人の噂で聞いた。元気にやっているなら、嬉しい。


秋ヶ瀬取水堰(埼玉県志木市)

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