遡ること上流へ数十キロ、当時私は埼玉県上尾市に住んでいた。釣りの好きな少年だった。私には何人か釣り仲間がいたが、中学の同級生Aとは特に仲が良く、行動をともにすることが多かった。中3の夏、私たちは沼に沈没している廃船を見つけた。
私たちはある計画を考えた。まず水底の廃船をロープで引き上げる。引き上げた船を沼から荒川水系の用水路に伝わせ、本流へ出る。そして川を降下し、50キロ先の東京湾に行こう、と。別に東京湾に行ったからといって何があるわけではないのだが、私たちはヤンチャで、時間があった。半年かけて計画を練った。
計画は半分成功した。決行の日、夜半より動き出した私たちは、早朝本流に出、オール代わりの竹棒を体力に任せて操り、昼には志木市へ突入した。だが、秋ヶ瀬取水堰ですべてが終わった。その日、水門は4つの内3つが閉まり、1つのゲートにすべての水が集中していた。おまけに、前日の雨で水嵩が増し、ゲートは滝の如くなっていた。早起きの疲れでボンヤリしていた私たちは、ここに船ごと呑みこまれたのだ。
死ぬ。そう思った。濁流にまきこまれ浮上は困難。頭が上になったり下になったりグルグル回る。水を飲む。呼吸ができない。意識が遠のく。死を覚悟した。
私は靴と、財布やカメラなど荷物一式を流された。Aは荷物は無論、ズボンやパンツを流され、スッテンテンになった。でも、命は取られなかった。無我夢中で川岸まで這い上がった。
ズブ濡れの私たちを、車で昼寝をしていたサラリーマンが助けてくれた。この人は善人で、決して名を名乗らず、バカな若者に寸志まで包んでくれた。帰宅して両親に報告すると怒られた。父は冒険心は認めてくれた。学校でも話した。この話は少し武勇伝になった。あとで聞くと、この堰では過去何人もの水死者が出ていた。
15歳の時の話だ。卒業式はその1ヵ月後。私は埼玉県の平凡な県立高校に、Aは美容師学校に進学した。それから10年余り、今ではもうAと会うことはない。結婚して子どもをもうけたと人の噂で聞いた。元気にやっているなら、嬉しい。
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秋ヶ瀬取水堰(埼玉県志木市) |
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